2015年04月27日

落語の起源はお説教

 碧南市芸術文化ホールでは毎年、落語公演を催しており、
昨年に引き続き、今年度の公演も落語会からはじまる。

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 落語は歴史があり大衆的で一般的、滑稽で人情味が溢れ、
話の内容や語り口調、そして独特の仕草で世界感に引き込まれていってしまう。
いつどこで聞いても、シチュエーションを問わず楽しめるのが落語の素晴らしさだろう。

 しかし、落語についてどこまで知っているのかと聞かれると少し戸惑ってしまう。
なぜなら歴史や成り立ちまで深く掘り下げたことがなかったからだ。

 よい機会なので、落語について考察してみたい。


 落語といえば、昔から伝わる伝統芸能のひとつで、
今でも老若男女問わずテレビやラジオ、寄席やホール公演で親しまれている。

 お年寄りが好むもの、といった認識は一昔前の話で、
今では中高年の夫婦や若い男女をはじめ幅広い年代の方に好まれる文化である。

 落語はもともと「落とし噺(ばなし)」といい、落ちのある滑稽なものを指していた。
落とし噺を始めたのはどういった人物だったのだろうか。

 落語の起源を辿っていると、ある一人の人物に辿り着いた。

 浄土宗西山深草派総本山誓願寺(じょうどしゅうせいざんふかくさはそうほんざんせいがんじ)の僧侶
第五十五世法王「安楽庵策伝上人(あんらくあんさくでんしょうにん)」である。


誓願寺第五十五世法王、安楽庵策伝和尚とはどのような人物だったのか。

 安楽庵策伝は、現在の岐阜県山県市で生まれ、
全国を修業し精力的な布教活動で多くの寺院を建立・復興した。
その後、再び岐阜に戻り、浄音寺二十五世住職として過ごした後、誓願寺の第五十五世を継ぐ。
晩年は、誓願寺の塔頭竹林院の茶室「安楽庵」にて余生をおくり、89歳の命を終えた。
岐阜出身の古田織部と同世代を生きた人で、織部とも交流があり、
安楽庵流茶道を生み出した人としても知られている。


 当時、貴族など一部特権階級者が独占していた仏教を、策伝上人は民衆に、
しかも文字の読めない庶民に浄土宗の極楽浄土の教えを説いた。
ともすれば小難しくなりがちな「お説教」にふとした笑い話を含め、
人々にわかりやすく、また親しみやすく話されたという。

 ふとした笑いを込め、巧みな話術で伝えるなど、落語の源流となったに違いない。 

 また、体験、見聞録を出来るだけ面白く、さらに風刺、教訓、啓蒙的な要素を付加して、
巧みに記した「醒睡笑(せいすいしょう)」が後世の落語のネタ本となったことからも、
「落語の祖」と呼ばれるようになったようだ。
ちなみに法王を務めた浄土宗西山深草派総本山誓願寺は、落語発祥の地として知られている。



 ところで、碧南には数多くのお寺があるのをご存じだろうか。
なかでも大浜地区にはお寺が多く、てらまちウォークという寺めぐりのイベントも実施されるほど多い。

 そのなかに、浄土宗西山深草派のお寺、海徳寺(かいとくじ)がある。
国指定重要文化財の木造阿弥陀如来坐像が安置され、
山門には市内唯一の金剛力士像(市文化財)が安置されている寺院である。


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 碧南市に浄土宗西山深草派のお寺があることが分かったので、
海徳寺を訪ね、安楽庵策伝上人についてお寺の僧侶に伺った。

 「宗祖ではないので、特別、修行などで策伝上人のお話が出てくることはないのですが、
説教に「オチ」をつけ親しみやすく話をしたことが、落語の祖と呼ばれている所以でしょう。
今でも誓願寺には、著名な落語家がお参りに来ていますよ。」(浄土宗西山深草派海徳寺僧侶 談)

 急に訪ねたにも関わらず、丁寧にお答えいただき感謝いたします。


海徳寺 (12).JPG
海徳寺についてはまた別の機会に触れることとする。



次に落語を広めた人物を探る。


 ときは江戸時代、5代将軍徳川家綱の頃。
京の四条河原や北野などの大道で、観客はござに座り、机のような台に座って滑稽な話をし、
銭を得るという「辻噺(つじばなし)」が流行った。露の五郎兵衛という人物だ。
少し遅れて大阪の生玉神社境内で、小屋掛けの辻噺を行って評判をとったのが米沢彦八。
また同じ頃、江戸でさまざまな屋敷に招かれて演じる「座敷噺」で評判を得たのが鹿野武左衛門。

いずれも不特定多数を聴衆として料金を取っていることから、彼らを「落語家の祖」と呼んだ。


 「落語の祖」と呼ばれている浄土宗西山深草派の安楽庵策伝上人。
露の五郎兵衛、米沢彦八、鹿野武左衛門ら「落語家の祖」。

 まだまだ落語の文化は奥が深そうだが、今回はここまでとする。


文化#01-1


参考・引用
*文化デジタルライブラリー webサイト http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/rekishi/rakugo/index2.html
*浄真寺 webサイト http://www.jiin.or.jp/
*浄土宗西山深草派総本山誓願寺 webサイト http://www.fukakusa.or.jp/


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2015年04月24日

オリンピックと文化プログラム

 来年、南アメリカ大陸で初のオリンピック・パラリンピックがブラジル・リオデジャネイロで開催されます。
そして2020年には東京で2度目となるオリンピック・パラリンピックが開催されます。
1964年の東京オリンピックから56年の期間を経て開催されるオリンピックは、
世界の人々を魅了し、様々な競技で記録更新されることでしょう。

しかしながら不安定な世界情勢、テロ、金融危機など安全・安心を脅かす要因が見え隠れしています。
世界のトップアスリートが安心して来日し、安全に競技を行えるよう不安要素が早期に払拭されることを願っています。

 さて、なぜオリンピックの話題に触れたかというと、
一般的には知られていませんが、オリンピックはスポーツだけではなく
「文化の祭典」でもあるのをご存じでしたでしょうか。
オリンピック憲章には文化プログラムを開催することが規定されているのです。


 今回は「オリンピックの文化プログラム」について紹介していきたいと思います。


 はじめにオリンピズムの根本原則にはこのように書かれています。
「1 オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、
均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。
スポーツを文化や教育と融合させるオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、
よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などに基づいた生き方の創造である。」*1

 そして「OCOG(オリンピック競技大会組織委員会)は、短くともオリンピック村の開村期間、
複数の文化イベントのプログラムを計画しなければならない。
このプログラムは、IOC理事会に提出して事前の承認を得るものとする。」*2
 と文化プログラムについて明記されています。


 様々な文化プログラムが開催されることとなったのは、
約100年前の1912年ストックホルム大会からになります。

当初は、「芸術競技」として建築、彫刻、絵画、音楽、文学という5種目が正式種目に導入され、
スポーツをモチーフとした芸術作品のコンペが行われ、メダルも授与されていました。

しかし芸術で競い合うことは適切ではないことから、
1952年のヘルシンキ大会からは「芸術展示」となりました。

 ちなみに1964年の東京大会のときの文化プログラムはどのような内容だったのかというと、
日本最高の芸術品を展示し(美術部門4種目)、
日本の伝統芸能を披露する(芸能部門6種目)プログラムが開催され、
40万人が来場されました。*5 

 1992年のバルセロナ大会以降は「文化プログラム」として
さらに多彩なプログラムが展開されるようになり、
2012年のロンドン大会では開催の4年前、2008年北京大会終了後から
「ロンドン2012 カルチュラル・オリンピアード」が開始されました。

2012年ロンドン大会開会1か月前からパラリンピック閉会までの2か月半は
「ロンドン2012フェスティバル」として大規模な芸術祭が英国全土で展開されました。

「ロンドン2012 カルチュラル・オリンピアード」は、
イベント数17万7,717件、
参加者数4,340万人、
総予算約210億円という、かつてない規模になりました。*3


 日本における2020年東京大会に向けての動きですが、
文化庁に「2020年に向けた文化イベント等の在り方検討会」が設置され、
様々なアイデアが議論されています。
また2013年11月に文化庁と観光庁が文化庁と観光庁は包括的連携協定を締結し、
2020年東京大会に向けて2016年のリオデジャネイロ大会終了後から開始される文化プログラムの
着実な実施に向けて歩み始めています。*4
これら文化プログラムは2016年リオデジャネイロ大会閉幕後から実施されていく予定になっています。

 文化庁は2020年の東京大会をきっかけに、スポーツと文化、教育を融合させ、
2030年を目標に真の「文化芸術立国」を実現させるとしています。
さまざまな文化プログラムを展開し、世界の人々を文化でも
「おもてなし」できる日本になれるといいですね。

 スケールを愛知県におとしてみると、2016年は「あいちトリエンナーレ」が開催されます。
2020年のオリンピックの前に、まずは「あいちトリエンナーレ」が盛り上がることを期待しています。




参考・引用元
*1 公益財団法人日本オリンピック委員会 http://www.joc.or.jp/ より
*2 オリンピック憲章(2011 年版)規則39 より
*3 ネットTAM 掲載「2020年オリンピック・パラリンピックに文化の祭典を〜新たな成熟先進国のモデルを世界に提示するために」吉本 光宏 http://www.nettam.jp/course/tokyo2020/1/ より
*4 文化庁webサイトhttp://www.bunka.go.jp/ima/press_release/bunkachou_kankouchou_131120.html より
*5 2020年東京五輪 ――文化プログラムによる地域活力の創造を 吉本光宏|ニッセイ基礎研究所 http://www.esri.go.jp/jp/workshop/forum/150319/data/150319_siryo01.pdf より

文化#00-1


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2015年04月11日

さくら

フォーラムをはじめ、碧南市芸術文化ホールに さくら が咲くのは毎年4月ごろ。

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3月下旬〜5月にかけて日本中で咲き誇る さくら
咲き誇る期間は短いが人々に一時の安らぎを与え、儚く散っていく様に潔さすら感じさせる。
古くから詩に詠まれ、歌に歌われ、今なお日本人には特別な樹木となっている。

日本3大桜といえば、
福島県三春町の「滝桜」、岐阜県本巣市の「薄墨桜」、山梨県北杜市の「神代桜」
神代桜(ジンダイサクラ)は樹齢2000年といわれ、日本最古の さくら として有名である。
ぜひとも見てみたい。


ところで、いつから日本人は さくら に特別な印象を持ってきたのであろうか。

調べたところ、日本の文献で さくら が記された最古のものは「日本書紀」にあるそうだ。

日本書紀は奈良時代、今から約1300年前の歴史書。
そこに記された、402年のこと、つまり1600年以上前のこととなる。

三年の冬十一月の丙寅朔辛未に、天皇、兩枝船を磐余市磯池に泛べたまふ。
 與皇妃と各分ち乘りて遊宴びたまふ。膳臣餘磯、酒を獻る。時に櫻の花、御盞に落れり。

402年11月、池に船に浮かべて酒宴を開く履中天皇。天皇の持つ杯に桜の花びらが舞い落ちる。

11月に咲く さくら は、春と秋に花を咲かせる"十月桜"かと思われる。

そして詩にも読まれた。

花細し 桜の愛で 同愛でば 早くは愛でず 我が愛づる子ら

なんと繊細な桜の美しさよ。
同じように愛でるなら、桜のように美しい我が姫をなぜもっと早くから愛さなかったのだろうか…。

允恭天皇が衣通郎姫を思って詠んだ一首。


日本に現存する最古の和歌集である「万葉集」においても、さくらは数多く詠まれているようだが、
更に調べると、さくら という言葉が初めて記されたのは日本最古の歴史書「古事記」になるそうだ。

木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)は日本神話に登場する女神で、
木の花(桜の花とされる)が咲くように美しい女性を意味している。

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古事記といえば、7月に竹田恒泰氏が古事記を語る。
偶然とはいえ、さくら が古事記につながるとは。

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文化#00-0


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