2015年06月13日

碧南の名所。阿弥陀如来と金剛力士像の海徳寺

碧南市音羽町にある海徳寺には、国指定重要文化財木造阿弥陀如来坐像が安置されている。
南面山天寿院海徳寺は、浄土宗西山深草派に所属している。

浄土宗西山深草派の総本山は、京都にある誓願寺。
先のBlogで記述した、落語の祖、安楽庵策伝上人と同じ宗派だ。

碧南には数多くの寺院があり、そのほとんどが大浜地区にあつまり、また宗派が異なる。
その中でも、落語の祖、安楽庵策伝上人と同じ宗派、浄土宗西山深草派の海徳寺には、
阿弥陀如来坐像と金剛力士像が安置されている。

海徳寺を訪れた際、手にした寺報から、紹介していきます。

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海徳寺は、室町時代、後花園天皇は治めた寛正3年(1462年)開山守翁西演和尚が諸国行脚の折、
風光明媚、気候温暖な碧南市に立ち寄り、草庵(わら・かやなどで屋根をふいた草ぶきの小さな家)を
結んだ(建てた)のが始まりで、現在に至るまでその法灯(仏の教え)を受け継いでいる。

江戸時代には、徳川家の御朱印寺(社寺参拝の後、願い出ればその社寺の朱印を授かることが出来る。
朱印帳にその社寺の寺社名や本尊を墨書のうえ、祭神・本尊の朱印が押印される。
この朱印は、その社寺の祭神・本尊の書き写しを意味する。
つまり、朱印そのものが参拝者の守護を意味する)として栄えた。

現本堂は、八間四面(14.5mの4面)にして檜材無節にて20代審空和尚のときに4年の歳月を経て、
嘉永元年(1848年)に再建された。

堂内の漆塗りの柱や極彩色の欄間、格天井などの豪華さは近在に稀であり、
内陣の天井には花鳥風月が描かれて極楽浄土を思わせている。

現在では三河十二支霊場の戌亥の守本尊である阿弥陀如来の札所として、
また、三河新四国霊場として参拝者が多く訪れている。

海徳寺 (10).JPG

本尊阿弥陀如来坐像
本尊阿弥陀如来坐像は江戸時代まで伊勢神宮域内の神宮寺の本尊として安置されていた仏像である。
明治初年の「神仏分離令」により仏教の抑圧排斥運動が盛んとなり、全国各地で仏堂、仏像、経文などの
破壊が行われた。本尊も廃棄されようとしていた。
これを聞いた海徳寺22代寂空和尚が檀信徒総代とともに、神宮寺におもむき、大仏と仁王像その他を
譲り受け、海路にて大浜(碧南市)に運び、本尊として安置した。
時に明治2年(1869年)春4月のことであった。
その大きさから地元民より、「大浜大仏」と称せられ今日におよんでいる。
文化庁の調査から、像内銘には僧良仁が願主となり、長承3年(1134年)から
保延2年(1136年)にかけて造立したことが明らかになった。
本像は数少ない平安時代在銘の丈六坐像で、なおかつ伊勢の神宮寺の本尊であったという意味において
美術的、文化史的意義は大きく、重要文化財として国の認定を受けた。

木造漆箔の丈六仏坐像は彫眼、余木造り、來迎印を結ぶ阿弥陀如来で、光背には舟型をした千仏光背で、
千仏の間には十二光仏が配されており、内陣天井の中まで入るほどの高さである。(床より約700センチ!)
御顔は温容のうちに大きな力を秘め、五指の間の水かきの膜は一切の衆生をもれなく数区という
大誓願のあたたかき心のあらわれたお姿である。

※丈六仏とは、立像の場合、高さが一丈六尺(約480p)の仏像をいう。
これはお釈迦様の背丈が一丈六尺であったとする言い伝えから決められている。
坐像の場合は立像の高さの半分の八尺(約240p)となる。

残念ながら撮影禁止でした。


阿弥陀如来立像
高さ93p 鎌倉時代
本堂内西脇檀に安置されている本像は、現在の本尊阿弥陀如来(大仏)が安置される以前の本尊で、
十二支の戌亥年生まれの守本尊として多くの信仰を集めている。この世の悩みや苦しみを取り除き、
多くの幸をもたらし、仏の力によってほとりも漏らさず西方極楽浄土へ導かれる。


金剛力士像
高さ 222p 鎌倉時代
本尊阿弥陀如来(大仏)とともに当寺に渡り、山門の両脇に安置されている。
強大勇猛で仏教の守護神とされ、わらじの奉納は心身を丈夫にするといういわれにあやかり、
諸病平穏を願う信仰者が訪れる。
市内唯一の仁王像で、碧南市文化財に指定されている。
海徳寺 (7).JPG海徳寺 (3).JPG


参考・引用
海徳寺作成の寺報

文化#01-2


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2015年04月27日

落語の起源はお説教

 碧南市芸術文化ホールでは毎年、落語公演を催しており、
昨年に引き続き、今年度の公演も落語会からはじまる。

20150424172830_00001.jpg

 落語は歴史があり大衆的で一般的、滑稽で人情味が溢れ、
話の内容や語り口調、そして独特の仕草で世界感に引き込まれていってしまう。
いつどこで聞いても、シチュエーションを問わず楽しめるのが落語の素晴らしさだろう。

 しかし、落語についてどこまで知っているのかと聞かれると少し戸惑ってしまう。
なぜなら歴史や成り立ちまで深く掘り下げたことがなかったからだ。

 よい機会なので、落語について考察してみたい。


 落語といえば、昔から伝わる伝統芸能のひとつで、
今でも老若男女問わずテレビやラジオ、寄席やホール公演で親しまれている。

 お年寄りが好むもの、といった認識は一昔前の話で、
今では中高年の夫婦や若い男女をはじめ幅広い年代の方に好まれる文化である。

 落語はもともと「落とし噺(ばなし)」といい、落ちのある滑稽なものを指していた。
落とし噺を始めたのはどういった人物だったのだろうか。

 落語の起源を辿っていると、ある一人の人物に辿り着いた。

 浄土宗西山深草派総本山誓願寺(じょうどしゅうせいざんふかくさはそうほんざんせいがんじ)の僧侶
第五十五世法王「安楽庵策伝上人(あんらくあんさくでんしょうにん)」である。


誓願寺第五十五世法王、安楽庵策伝和尚とはどのような人物だったのか。

 安楽庵策伝は、現在の岐阜県山県市で生まれ、
全国を修業し精力的な布教活動で多くの寺院を建立・復興した。
その後、再び岐阜に戻り、浄音寺二十五世住職として過ごした後、誓願寺の第五十五世を継ぐ。
晩年は、誓願寺の塔頭竹林院の茶室「安楽庵」にて余生をおくり、89歳の命を終えた。
岐阜出身の古田織部と同世代を生きた人で、織部とも交流があり、
安楽庵流茶道を生み出した人としても知られている。


 当時、貴族など一部特権階級者が独占していた仏教を、策伝上人は民衆に、
しかも文字の読めない庶民に浄土宗の極楽浄土の教えを説いた。
ともすれば小難しくなりがちな「お説教」にふとした笑い話を含め、
人々にわかりやすく、また親しみやすく話されたという。

 ふとした笑いを込め、巧みな話術で伝えるなど、落語の源流となったに違いない。 

 また、体験、見聞録を出来るだけ面白く、さらに風刺、教訓、啓蒙的な要素を付加して、
巧みに記した「醒睡笑(せいすいしょう)」が後世の落語のネタ本となったことからも、
「落語の祖」と呼ばれるようになったようだ。
ちなみに法王を務めた浄土宗西山深草派総本山誓願寺は、落語発祥の地として知られている。



 ところで、碧南には数多くのお寺があるのをご存じだろうか。
なかでも大浜地区にはお寺が多く、てらまちウォークという寺めぐりのイベントも実施されるほど多い。

 そのなかに、浄土宗西山深草派のお寺、海徳寺(かいとくじ)がある。
国指定重要文化財の木造阿弥陀如来坐像が安置され、
山門には市内唯一の金剛力士像(市文化財)が安置されている寺院である。


海徳寺 (1).JPG



 碧南市に浄土宗西山深草派のお寺があることが分かったので、
海徳寺を訪ね、安楽庵策伝上人についてお寺の僧侶に伺った。

 「宗祖ではないので、特別、修行などで策伝上人のお話が出てくることはないのですが、
説教に「オチ」をつけ親しみやすく話をしたことが、落語の祖と呼ばれている所以でしょう。
今でも誓願寺には、著名な落語家がお参りに来ていますよ。」(浄土宗西山深草派海徳寺僧侶 談)

 急に訪ねたにも関わらず、丁寧にお答えいただき感謝いたします。


海徳寺 (12).JPG
海徳寺についてはまた別の機会に触れることとする。



次に落語を広めた人物を探る。


 ときは江戸時代、5代将軍徳川家綱の頃。
京の四条河原や北野などの大道で、観客はござに座り、机のような台に座って滑稽な話をし、
銭を得るという「辻噺(つじばなし)」が流行った。露の五郎兵衛という人物だ。
少し遅れて大阪の生玉神社境内で、小屋掛けの辻噺を行って評判をとったのが米沢彦八。
また同じ頃、江戸でさまざまな屋敷に招かれて演じる「座敷噺」で評判を得たのが鹿野武左衛門。

いずれも不特定多数を聴衆として料金を取っていることから、彼らを「落語家の祖」と呼んだ。


 「落語の祖」と呼ばれている浄土宗西山深草派の安楽庵策伝上人。
露の五郎兵衛、米沢彦八、鹿野武左衛門ら「落語家の祖」。

 まだまだ落語の文化は奥が深そうだが、今回はここまでとする。


文化#01-1


参考・引用
*文化デジタルライブラリー webサイト http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/rekishi/rakugo/index2.html
*浄真寺 webサイト http://www.jiin.or.jp/
*浄土宗西山深草派総本山誓願寺 webサイト http://www.fukakusa.or.jp/


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2015年04月24日

オリンピックと文化プログラム

 来年、南アメリカ大陸で初のオリンピック・パラリンピックがブラジル・リオデジャネイロで開催されます。
そして2020年には東京で2度目となるオリンピック・パラリンピックが開催されます。
1964年の東京オリンピックから56年の期間を経て開催されるオリンピックは、
世界の人々を魅了し、様々な競技で記録更新されることでしょう。

しかしながら不安定な世界情勢、テロ、金融危機など安全・安心を脅かす要因が見え隠れしています。
世界のトップアスリートが安心して来日し、安全に競技を行えるよう不安要素が早期に払拭されることを願っています。

 さて、なぜオリンピックの話題に触れたかというと、
一般的には知られていませんが、オリンピックはスポーツだけではなく
「文化の祭典」でもあるのをご存じでしたでしょうか。
オリンピック憲章には文化プログラムを開催することが規定されているのです。


 今回は「オリンピックの文化プログラム」について紹介していきたいと思います。


 はじめにオリンピズムの根本原則にはこのように書かれています。
「1 オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、
均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。
スポーツを文化や教育と融合させるオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、
よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などに基づいた生き方の創造である。」*1

 そして「OCOG(オリンピック競技大会組織委員会)は、短くともオリンピック村の開村期間、
複数の文化イベントのプログラムを計画しなければならない。
このプログラムは、IOC理事会に提出して事前の承認を得るものとする。」*2
 と文化プログラムについて明記されています。


 様々な文化プログラムが開催されることとなったのは、
約100年前の1912年ストックホルム大会からになります。

当初は、「芸術競技」として建築、彫刻、絵画、音楽、文学という5種目が正式種目に導入され、
スポーツをモチーフとした芸術作品のコンペが行われ、メダルも授与されていました。

しかし芸術で競い合うことは適切ではないことから、
1952年のヘルシンキ大会からは「芸術展示」となりました。

 ちなみに1964年の東京大会のときの文化プログラムはどのような内容だったのかというと、
日本最高の芸術品を展示し(美術部門4種目)、
日本の伝統芸能を披露する(芸能部門6種目)プログラムが開催され、
40万人が来場されました。*5 

 1992年のバルセロナ大会以降は「文化プログラム」として
さらに多彩なプログラムが展開されるようになり、
2012年のロンドン大会では開催の4年前、2008年北京大会終了後から
「ロンドン2012 カルチュラル・オリンピアード」が開始されました。

2012年ロンドン大会開会1か月前からパラリンピック閉会までの2か月半は
「ロンドン2012フェスティバル」として大規模な芸術祭が英国全土で展開されました。

「ロンドン2012 カルチュラル・オリンピアード」は、
イベント数17万7,717件、
参加者数4,340万人、
総予算約210億円という、かつてない規模になりました。*3


 日本における2020年東京大会に向けての動きですが、
文化庁に「2020年に向けた文化イベント等の在り方検討会」が設置され、
様々なアイデアが議論されています。
また2013年11月に文化庁と観光庁が文化庁と観光庁は包括的連携協定を締結し、
2020年東京大会に向けて2016年のリオデジャネイロ大会終了後から開始される文化プログラムの
着実な実施に向けて歩み始めています。*4
これら文化プログラムは2016年リオデジャネイロ大会閉幕後から実施されていく予定になっています。

 文化庁は2020年の東京大会をきっかけに、スポーツと文化、教育を融合させ、
2030年を目標に真の「文化芸術立国」を実現させるとしています。
さまざまな文化プログラムを展開し、世界の人々を文化でも
「おもてなし」できる日本になれるといいですね。

 スケールを愛知県におとしてみると、2016年は「あいちトリエンナーレ」が開催されます。
2020年のオリンピックの前に、まずは「あいちトリエンナーレ」が盛り上がることを期待しています。




参考・引用元
*1 公益財団法人日本オリンピック委員会 http://www.joc.or.jp/ より
*2 オリンピック憲章(2011 年版)規則39 より
*3 ネットTAM 掲載「2020年オリンピック・パラリンピックに文化の祭典を〜新たな成熟先進国のモデルを世界に提示するために」吉本 光宏 http://www.nettam.jp/course/tokyo2020/1/ より
*4 文化庁webサイトhttp://www.bunka.go.jp/ima/press_release/bunkachou_kankouchou_131120.html より
*5 2020年東京五輪 ――文化プログラムによる地域活力の創造を 吉本光宏|ニッセイ基礎研究所 http://www.esri.go.jp/jp/workshop/forum/150319/data/150319_siryo01.pdf より

文化#00-1


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