2016年07月29日

中村紘子さんが亡くなりました

ピアニスト中村紘子さんが亡くなられました。
日本で誰しも知っているピアニストのひとりであったのは間違いないでしょう。

このニュースを聞いたとき、中村紘子さんのコンサートのことを思いだしました。
コンサートでは、みなさんがみたいでしょうから、と鍵盤を舞台中央にしたピアノ配置にし、
鍵盤と演奏の手元が一人でも多くに方に見えるようにと、少し客席に向けていたことを思いだしました。

芯があり力強い迫力のある演奏と繊細で流麗な演奏を使い分け、楽曲の表現に非常に長けていらっしゃいました。
演奏に魅了されたひとりとして、大変残念でなりません。

ご冥福をお祈りいたします。

1993年(平成5年)のエメラルドホール開館当時、主催事業として先陣を切っていただいたのが中村紘子さんでした。

当時のプログラムです。

中村紘子ピアノリサイタル.pdf

中村紘子ピアノリサイタル
日時:平成5年7月17日(土) 午後6時30分開演
出演:中村紘子(ピアノ)
【プログラム】
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調「熱情」
シューマン:幻想小曲集 op.12
ドビュッシー:「レントよりおそく」
       「ピアノのために」より前奏曲
ショパン:12の練習曲よりホ短調 op.25-5
     12の練習曲より嬰ハ短調 op.10-4
     夜想曲第5番 嬰ヘ長調 op.15-2
     ポロネーズ第6番 変イ長調「英雄」op.53
posted by 館長 at 10:19| Comment(0) | 日記

2016年03月25日

2年間の総括

碧南市芸術文化ホールに館長として携わり、2年が過ぎようとしています。
次の一年に向けて、新たな気持ちで臨めるよう、簡単ではありますが私なりに2年間を総括してみました。

施設管理
これまで永きに渡り市職員が行ってきた施設管理業務が、民間企業による指定管理者に移行した事により利用者が不安が感じないよう、そして不慣れであるが故に業務が滞る事がないよう、利用受付などの管理業務を行ってきました。システムの利用方法やまた条例や規則、関連法とも照らし合わせながら施設を見渡し1年の月日をかけ、施設をよりよくしていく方向性を見極めてきました。利用に支障をきたすことがないよう必要な箇所には修繕を実施し、安全、安心、快適に施設が利用できるようにも努めてきましたが、まだまだ改善していけると思っています。今後は利用者、来場者のみなさまから頂いた意見、要望を反映できるよう施設利用者との意見交換会の実施やご意見箱の内容、対応の公開を行い、より使いやすい施設にしていきます。

主催事業
これまで碧南市芸術文化ホールが主催した事業は芸術性を追求した鑑賞事業が多いように感じていました。芸術性の高い演奏を鑑賞する公演の実施は、室内楽用ホールとして日本屈指のホールと表現してもおかしくはない、素晴らしい響きのホールですからその想い、考えはよく理解できます。碧海エリア、西三河エリアの劇場を見渡すと多目的ホールとして設立された劇場が多く、音楽、特にクラシックに代表される生の演奏を聴くことを目的に設計された劇場やいわゆる「よい音」で演奏を聴ける劇場が少ない。また劇場形式やキャパシティにおいても、シューボックス型のオープン・ステージエンド形式で舞台客席が一体の空間、座席数は450席と多すぎることもない。迫力あるオーケストラの演奏を聴くことは難しいが、独奏、室内楽をゆったりと時を忘れて楽しむことができるなど、音楽特色を持たせている劇場として、広くエリアに影響のある自主公演を行うことは、地域エリアにおいても劇場開館当時は求められていたことかもしれません。しかしながら芸術性の高い公演に主眼を置き過ぎ、自館地域の市民が参加できる事業や次世代の育成を主とした事業が少なかった事、劇場と市民を介したコミュニティを失ってしまったことが、20年後のいま、劇場にはマイナスに働いていたようです。私どもが事業の中で力を入れていることとして「楽しさの創出」、「次世代の育成」があります。劇場が開館した当初、施設案内として作られたパンフレットには「楽しさって、きっと文化なんだ。」の文言が記載されています。その通りだと思います。私どもの事業も文化、芸術が楽しさの上に成り立っているものとし、事業を行っています。次世代の育成については、碧南市をはじめとした子どもたちが文化、芸術を身近に感じることができ、親しみや楽しさを体感できる事業に取り組んでいます。市内小学校への訪問コンサートをはじめ、バックステージツアーでの劇場探検、ピアノの弾き見比べやフルート演奏体験、未就学児が参加、鑑賞可能な事業などに取り組んでいます。子どもの頃から劇場に足を運び、公演を鑑賞する(しなくても劇場に自らの意思で来ることに意味がある)ことで、劇場が市民の財産であることを実感してもらうことができます。2012年に施行された劇場法においても「人々の共感と参加を得ることにより新しい広場として、地域コミュニティの創造と再生を通じて、地域の発展を支える機能も期待されている」とあるように、地域の人々が集う場所に劇場がなりつつあります。私見ですが文化、芸術とは、人々が集うことでコミュニティが生まれ、そのコミュニティが発展していく中で文化(お祭りをはじめとした地域の決め事や神事、催事など)が生まれる。その中から文化を支え、牽引する者が生まれ、芸術と呼ばれる域に達するものもあらわれる。それがきっかけとなり他の地域やコミュニティと繋がり、地域が発展していき文化が醸成されるととらえています。いま、地域や劇場に係る人々の力を劇場や地域コミュニティが求めています。それは単に、劇場側が地域の協力が必要であることにとどまらず、劇場に求められる姿やあり方が変化しているからです。劇場を地域の方々や利用者、来場者の皆さんが共に共有し、活用できる事業、取り組みを進めてまいります。みなさんの参画、ご協力、積極的な参加をお待ちしております。

これまで主催事業や講座に来場してくださったみなさまや、施設を利用していただいている素敵な方々と触れ合うことができました。人と人とが集う施設である事を改めて確認し、人との出会い、出会うことの喜びを感じています。これからも当劇場をよろしくお願いいたします。

最後に
施設へのご意見、ご要望を投函できるご意見箱を受付窓口横に設置しております。
みなさまのご意見、ご要望をお待ちしております。

最後までお読みいただきありがとうございました。
posted by 館長 at 11:53| Comment(0) | 日記

2015年06月13日

碧南の名所。阿弥陀如来と金剛力士像の海徳寺

碧南市音羽町にある海徳寺には、国指定重要文化財木造阿弥陀如来坐像が安置されている。
南面山天寿院海徳寺は、浄土宗西山深草派に所属している。

浄土宗西山深草派の総本山は、京都にある誓願寺。
先のBlogで記述した、落語の祖、安楽庵策伝上人と同じ宗派だ。

碧南には数多くの寺院があり、そのほとんどが大浜地区にあつまり、また宗派が異なる。
その中でも、落語の祖、安楽庵策伝上人と同じ宗派、浄土宗西山深草派の海徳寺には、
阿弥陀如来坐像と金剛力士像が安置されている。

海徳寺を訪れた際、手にした寺報から、紹介していきます。

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海徳寺は、室町時代、後花園天皇は治めた寛正3年(1462年)開山守翁西演和尚が諸国行脚の折、
風光明媚、気候温暖な碧南市に立ち寄り、草庵(わら・かやなどで屋根をふいた草ぶきの小さな家)を
結んだ(建てた)のが始まりで、現在に至るまでその法灯(仏の教え)を受け継いでいる。

江戸時代には、徳川家の御朱印寺(社寺参拝の後、願い出ればその社寺の朱印を授かることが出来る。
朱印帳にその社寺の寺社名や本尊を墨書のうえ、祭神・本尊の朱印が押印される。
この朱印は、その社寺の祭神・本尊の書き写しを意味する。
つまり、朱印そのものが参拝者の守護を意味する)として栄えた。

現本堂は、八間四面(14.5mの4面)にして檜材無節にて20代審空和尚のときに4年の歳月を経て、
嘉永元年(1848年)に再建された。

堂内の漆塗りの柱や極彩色の欄間、格天井などの豪華さは近在に稀であり、
内陣の天井には花鳥風月が描かれて極楽浄土を思わせている。

現在では三河十二支霊場の戌亥の守本尊である阿弥陀如来の札所として、
また、三河新四国霊場として参拝者が多く訪れている。

海徳寺 (10).JPG

本尊阿弥陀如来坐像
本尊阿弥陀如来坐像は江戸時代まで伊勢神宮域内の神宮寺の本尊として安置されていた仏像である。
明治初年の「神仏分離令」により仏教の抑圧排斥運動が盛んとなり、全国各地で仏堂、仏像、経文などの
破壊が行われた。本尊も廃棄されようとしていた。
これを聞いた海徳寺22代寂空和尚が檀信徒総代とともに、神宮寺におもむき、大仏と仁王像その他を
譲り受け、海路にて大浜(碧南市)に運び、本尊として安置した。
時に明治2年(1869年)春4月のことであった。
その大きさから地元民より、「大浜大仏」と称せられ今日におよんでいる。
文化庁の調査から、像内銘には僧良仁が願主となり、長承3年(1134年)から
保延2年(1136年)にかけて造立したことが明らかになった。
本像は数少ない平安時代在銘の丈六坐像で、なおかつ伊勢の神宮寺の本尊であったという意味において
美術的、文化史的意義は大きく、重要文化財として国の認定を受けた。

木造漆箔の丈六仏坐像は彫眼、余木造り、來迎印を結ぶ阿弥陀如来で、光背には舟型をした千仏光背で、
千仏の間には十二光仏が配されており、内陣天井の中まで入るほどの高さである。(床より約700センチ!)
御顔は温容のうちに大きな力を秘め、五指の間の水かきの膜は一切の衆生をもれなく数区という
大誓願のあたたかき心のあらわれたお姿である。

※丈六仏とは、立像の場合、高さが一丈六尺(約480p)の仏像をいう。
これはお釈迦様の背丈が一丈六尺であったとする言い伝えから決められている。
坐像の場合は立像の高さの半分の八尺(約240p)となる。

残念ながら撮影禁止でした。


阿弥陀如来立像
高さ93p 鎌倉時代
本堂内西脇檀に安置されている本像は、現在の本尊阿弥陀如来(大仏)が安置される以前の本尊で、
十二支の戌亥年生まれの守本尊として多くの信仰を集めている。この世の悩みや苦しみを取り除き、
多くの幸をもたらし、仏の力によってほとりも漏らさず西方極楽浄土へ導かれる。


金剛力士像
高さ 222p 鎌倉時代
本尊阿弥陀如来(大仏)とともに当寺に渡り、山門の両脇に安置されている。
強大勇猛で仏教の守護神とされ、わらじの奉納は心身を丈夫にするといういわれにあやかり、
諸病平穏を願う信仰者が訪れる。
市内唯一の仁王像で、碧南市文化財に指定されている。
海徳寺 (7).JPG海徳寺 (3).JPG


参考・引用
海徳寺作成の寺報

文化#01-2


The investigation of cultures and arts by director.
This blog director reblogged editing .
posted by 館長 at 16:47| Comment(0) | 文化の源流をめぐる